ちえの庭

一主婦の日々です。脳梗塞で左片麻痺になった夫を介護しながら、日々を丁寧に、健康に、暮らしたいと思っています。そんな日常と日々の知恵です。

マイセンのお皿

 

新婚旅行で行ったマイセンで、記念にお皿を1枚買ってきました。


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当時、旅行の飛行機代を支払うと、夫の預金は、残りがあまりありませんでした。

結婚したら、夫のお金だけでやりくりしようと思っていた私は、節約旅行にせざるを得ませんでした。

 

1991年のドレスデンは、

旧東ドイツの名残りだらけで、まだトラバントがたくさん走っていました。

 

トラバント東ドイツ製の車で、当時、西ドイツの人たちは、ダメなものの象徴として、トラバントをあざ笑っていました。

 

でも東ドイツでは、他に選択肢はなく、憧れの車だったのです。

現地の知り合いが話していたのですが、給料の何ヶ月分で、しかも、申し込んでもなかなか番が回ってこなかったそうです。

それを話す時、彼らは、懐かしそうに、宝物について話すようでした。

目がキラキラ輝いていました。

 

1989年にベルリンの壁が崩壊し、1990年10月に東西ドイツが統一しました。

 

1991年春のドレスデンでは、タクシーはみなトラバントでした。

その狭い簡素な車に何度も乗りました。

 

滞在していたドレスデンから、列車でマイセンへ行きました。

ドレスデンもマイセンもエルベ川沿いにあります。

25kmくらいの距離です。

 

駅から、誰も通っていない、寂しげな道路を歩き、橋を渡って、マイセン磁器博物館へ。

街にはまったく人影もなく、ちょっと薄気味が悪かったです。

 

中世には、職人をアルブレヒト城に幽閉し、マイセンの陶磁器を作ったそうです。

その名残でしょうか。

重苦しい雰囲気でした。

 

ドレスデンのツヴィンガー宮殿やピルニッツの離宮で、たくさんのマイセン磁器を見ていました。

日本の柿右衛門もたくさんありました。

 

その陶磁器の本場、工場のあるマイセンを訪ねたのです。

 

工場と博物館が隣接しています。

 

博物館前には観光バスが1台、ポツンと停まっていました。

 

 

入場料を払い、入館しました。

 

圧倒されました!

 

美しいマイセン磁器が、たくさんありました。

フィギュアも。

細部まで細かく作り込まれ、彩色も美しい。

ため息が出ました。

 

作っている様子も見られます。

 

デモンストレーション用なのか、それがその職場なのかはわかりません。

 

たくさん見た磁器の中で、

特に気に入ったのは、カエルのチェス駒

わが家は、カエル好きなのです。

 

探しましたが、写真が見つかりません。そもそも写真を撮ったのかも憶えていません。

 

こちらで様子が見られます。

http://europe123.fc2web.com/travels/germany/g_meissen.htm

 

マイセン駅は当時、もっとボロボロでした。

 

磁器博物館内部は、私たちが行った頃と変わりません。

 

懐かしい。

 

 

と言うわけで、どうしても記念になにか欲しく、上のお皿を1枚買いました。

 

お金があったら、カエルを1匹、買ったかもしれません。

 

このお皿を見ると、当時がよみがえってきます。

頭の中で予算を計算しつつ、どれにしようか、真剣に悩んだ私がよみがえってきます。

 

その私を抱きしめたい。